torugon's posterous

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Toru Noguchi  //  

May 15 / 4:23am

等伯

日本経済新聞連載の「等伯」が昨日で終わった。
見事な小説だった。

安部龍太郎さんは、等伯の生涯を書くことにより、「松林図」、人の手によって描かれたことが奇跡とさえ思えるあの松林図が何故に描かれ得たのかという根源的な問いに対し、一つの解を示してくれたのだと思う。
講演で聞いた安部さんの話では、等伯に関する資料は少なく、特に京都に出るまでのものはほとんど無いとのことである。当然、想像力を駆使して、僅かな断片的事実をもとに全体を組み立てることになるわけだが、安部さんは深い洞察に基づく創造として、その仕事を成し遂げた。歴史・芸術小説の粋がここにある。


人が人を殺すこと、自分の肉親が他人に殺されるばかりではなく、時には自分が人を殺さざるを得ない状況に巻き込まれることさえ稀有とは言えなかった時代。
等伯が生きたのはそういう時代なのだ。等伯は、信長や秀吉に命を脅かされ一方で彼らのために描き、命を捨ててでも信念を曲げなかった利休や高僧の教えを受け、自らの命を賭して狩野派と争い子を失った。
そういうことの全てがあって初めて、あの「松林図」は描かれ得た。殺戮の世において殺戮者の求めに応じ描く、応えきれなければ命を失うと覚悟して描く。そういう状況で、等伯はついに自らの生死を離れた境地に達し、誰のためでもなくただひたすらに心が捉えた浄土として霧の中の松林を描いた。
それでこそ、松林図は、殺戮者自身をも救う絵となり得た。
安部さんのこの仮説を、私も信じる。

 

May 5 / 10:39am

ジャクソン・ポロック展@国立近代美術館

日経の小説を読んだすぐ後に、ポロックを見た。等伯に通じるとさえ思った。

ただただ憑かれたように、塗料を大キャンバスに流し込む(英語ではpour)。偶然的な要素はないと本人の言う通り、その動きは完全にコントロールされている。ただ、コントロールしているのは、通常の意識と無意識の間のようなものなのかとも思う。何か、自分の中に見える(感じる?)ものを、ひたすら写しているようにも思える。阿部龍太郎が書いた等伯のように。

「インディアンレッドの地の壁画」は、人類が到達した頂点の一つなのではないか。等伯の「松林図」がそうであるように。

本展の解説で初めて知ったが、ポロックの絶頂期はわずか1年。その後、苦悩の晩年を送り、44歳で飲酒運転による事故死。ジャズの絶頂期にも重なる。チャーリー・パーカーが死んだのはポロックの前年、1955年だ。

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May 5 / 10:25am

秘宝感@PIT INN (120504 昼の部)

フリージャズにコミカルな味付けをしたハチャメチャなグループ。愉快、痛快、爽快!

斉藤 良(Ds)とスガダイロー(P)は自在なプレイで気持ちが良い。纐纈雅代(As)もなかなか大したものだった。

https://picasaweb.google.com/lh/photo/Yg6VgsSn7dUvXBK2HE2qvtMTjNZETYmyPJy0lii...

May 1 / 8:31am
輝ける五月の緑貫きて北関道を我出勤す
Apr 29 / 11:27pm

杉本博司「ハダカから被服へ」@原美術館

展覧会を山にたとえるなら、シャネル、バレンシアガ、サンローラン等々の服をマネキンに着せ、モノクロで撮影した写真群が、この展覧会の頂上部と言えるだろう。スペースも相当部分を占める。一点一点じっくり見た。ファッション史に名を残す人々は、なんとも個性が際立っている、突き抜けている。しかし、それだけではないと思える。彼らは、単に美しくかつ人目を惹く服をデザインしようなどという次元ではなく、ハダカの祖先が毛皮を纏って以来の歴史に新しい衣服の意味を付け加えようとした人たちなのだ。例えば、三宅一生のプリーツに、鮮明にそれを感じた。三宅、山本、川久保は、そういう文脈で、欧州の巨匠と並ぶ高峰となったのだろう。

三宅のプリーツ一枚だけでも、写真家としての杉本の凄さが分かるが、杉本は写真家の枠に収まる人ではない。しかも、アーティスト杉本博司はとても親切で、頂上以外の到る所に見どころを用意してくれている(あの垣根の面白さ!)。それらを辿ることによって、頂上だけでは十分には分からない、杉本が示そうとしたこの山の姿がさらに見えてくる。

私には、杉本文楽「曽根崎心中」で用いられたという文楽人形が、本展で最も印象的だった。エルメスのスカーフをお初の着物に使う発想は、レンブラントのエッチングを掛け軸にするのと同様、杉本の真骨頂。なるほどこういう情念にはこの模様かと思う。杉本文楽、再演されたら今度こそ見たいものだ。

本展の目録は「秘すれば花」。秘すれども、秘するがゆえに、本質が現れる。

美術館を訪れたのは、東京では桜も見納めという頃。庭が花弁に薄く覆われ、この日限りの装いだった。

http://www.haramuseum.or.jp/jp/common/pressrelease/pdf/hara/jp_hara_pr_Sugimo...

Apr 28 / 6:31pm

小川芋銭展@茨城県近代美術館

独特の絵であることは分かる。こういう山の描き方はあまり見たことがないなと思う。水が見事に描けているとも思う。離れて見ると驚くほど。

でも、大観が絶賛したのは何故なのか、本質的なところはまだ分からない。

慣れ親しんだ風景から、日常はあまり意識していない美をぐっと掴みとり、ぽんと置いてくれる、それだけなら感嘆の声で終わるところを、芋銭は、さらに一筆加えて、敢えてありふれた日常に引き戻すのだ。

このような境地は、自分にはまだ遠いところのもののように思えた。

Apr 15 / 7:33pm

雨引山

雨引観音の近くでは、昨日の雨にもなんとか耐えた桜をまだ見ることができた。

(download)

 

Apr 14 / 2:41pm

HIROSHI SUGIMOTO, Five Elements @Gallery Koyanagi

地水火空風の五大をモチーフにした硝子製五重塔と、海景の写真による展覧会。

と書いて間違いではないのだが、実はそれぞれ別のものと思っていたため、危うく大変な見落としをするところだった。壁の海景写真が硝子の中に映り込むのを見るだけでも十分に満ち足りて。

出る前に作品リストを見ると、「海景五重塔 ○○海」が8作品。海が一つ一つ異なる。それで初めて気づいた。五重塔の中に海景がある!五大の「水」の中に。

ある方向から五重塔に向き合うと海景が見え、他の方向から見ると周りの事物が映り込んでいる。五大は、世界の中にあって世界を内に含み、しかもそこには世界の原初の姿である空と海さえも包み込んでいるのだった。

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